金田宗家18代当主故金田近二氏の研究を基礎とする旗本金田氏家史研究会によって金田正信以前の上総金田氏、江戸時代の旗本金田氏については多くのことが解明されました。しかし、金田正興が三河松平氏に仕えてから大坂夏の陣に至るまでの三河金田氏については謎が多いのです。
このサイトは謎を解明するために開設されました。
○本サイトが開設された趣旨(2015年1月開設) |
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このサイト管理人が金田一族の歴史を開設したのは、ある無念な想いがあることによるものです。 今から36年前、金田家の本家にあたる(遠江守正勝系)18代当主金田近二氏※1より一族の研究の為、我家にも調査協力の依頼がありました。親が金田近二氏に会って、文京区本駒込の金田正辰のお墓に同行したそうです。 その後、金田近二氏との交流もなくなり、そんなことがあったのもかすかな記憶でしかなくなりました。 若かった自分も年配になり、我家にある金田家の資料をこのまま処分となっていいのかと悩むようになりました。そこで自分の僅かな資料や知識を活用して2015年1月にインターネット上に「旗本金田一族の歴史」としてアップロードいたしました。 金田近二氏は1993年に他界され、長男金田正也氏によって2004年「旗本金田氏家史研究」が刊行されていました。サイト開設時には本の内容を知ることはできませんでしたが夢のような事が起こるのです。 |
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○本サイトが一族の縁を結び「旗本金田氏菓子研究会」が発足。 2015年7月、19代当主金田正也氏から連絡があり、高岩寺の施餓鬼会にてお会いすることができました。 18代当主金田近二氏からずっと愛知県にお住まいだったので、もうお会いすることはできないと思ってましたが、数年前に東京にお引越しされたとのことです。 このサイト管理人金田芳明も先祖のことについて疑問な点を多く抱えていました。 19代当主金田正也氏と懇談することができ、メールなどでの交流もできることになったので将来に希望を持つことができました。 更に金田正也氏から「旗本金田氏家史研究」の本やCD-Rなどの資料を提供していただきました。 「旗本金田氏家史研究」をもとに、旗本金田一族の家史をサイト上に展開していくことになりました。 旗本金田一族の諸家の方とも、このサイトを通じて一族間での交流ができることが金田正也氏とサイト管理人の共通な思いであります。 「旗本金田氏家史研究」の本はデジタル化されたので見ることができます 金田正也氏との出会いは、「金田家歴代記」などの著作を残している山内玄人氏(金田房能家の子孫)にも参加してもらうことで「旗本金田氏家史研究会」発足となった次第であります。「旗本金田氏家史研究会」はホームページを開設し、金田一族の交流と先祖の歩んだ歴史を研究し世の中に周知していくことを目的としています。それなりの成果を生んだと確信しています。 「旗本金田氏家史研究会」のホームページは下記のボタンをクリック! |
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○三河金田氏の研究の為、令和2年(2020年)2月新たなサイトとして発足。 「旗本金田氏家史研究会」として上総金田氏の研究をしてきましたが、三河国に移ってからの金田氏を研究すると謎が深まっていくのを感じました。もしかしたら、徳川幕府が支配権を確立して行く段階で、何か都合の悪い多くのことを歴史上抹殺されたことによる犠牲者だったのではないかという思いが浮かんできました。 そこで2015年に開設した「旗本金田一族の歴史」を活用することにしました。これはあくまで金田芳明個人の研究として大胆な仮説を提言することにしました。 そのために令和2年新たなドメインhatamotokaneda.jpを取得して新サイトとしてリニューアルいたしました。 「旗本金田一族の歴史」では三河金田氏を新たな視点で研究し、「金田正興が三河国に移り三河金田氏の祖なった以降」と漠然としていたのを、「正末刑死事件までを三河金田氏とし、金田正辰が館林藩城代家老に栄進以降を新たに江戸金田氏又は旗本金田氏と呼ぶ」ことを提唱したい。 江戸金田氏または旗本金田氏と呼ぶ時期は金田諸家の家譜や先祖書などの豊富な資料で正確に把握されている。それに対して三河金田氏と特定した時期は謎があまりにも多いのである。 謎解きのため新たに「三河金田氏の真実」を開設し謎を解明していく所存であります。
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※1 故金田近二氏の紹介 明治34年(1901年)4月29日茨城県生まれ 旗本金田家(遠江守正勝系)18代当主 東京商大(現・一橋大学)卒 専門 国際関係学・地域学
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このサイトへの問い合わせは下記のメールアドレスへお願いします kanedajp@kitaku.info 金田芳明宛 |