「金田一族」は日本家系協会が出版した本で、桓武平氏の流れをくむ金田氏の他、近江佐々木氏など日本各地の金田氏について書かれている。内容的には寛政重修諸家譜に書かれている桓武平氏流金田一族に関わる事項が大半をしめている。
しかし、そのような本でも絶版となって久しく、今後このような本が出版されることは無いことからも家史研究にとって貴重な資料なのである。
寛政重修諸家譜は寛政11年(1799年 )に江戸幕府が編修を開始し大名や旗本から提出記録をもとに文化9年(1812年)に完成した大名や旗本の家譜集である。
将軍家光の命により寛永20年(1643年)に完成した諸大名・旗本の家譜集である寛永諸家系図伝の続集にあたる。
当初寛永諸家系図伝に書き継ぎをすることが主な作業と考えられたが、寛永諸家系図伝に書かれている内容について様々な疑義が生じ、その内容に校閲の筆(重修)を入れざるを得なくなった。書き継ぎだけなら寛政諸家譜となったはずが、校閲の筆(重修)があった経緯から寛政重修諸家譜と呼ばれるようになった。
「金田一族」は寛政重修諸家譜を参考に書かれていることは明白だが一部に相違していることがある。
下記系図は金田房能家に伝わる系図で寛政重修諸家譜と一致している。
しかし、「金田一族」では初代金田頼次を常隆でなく常澄の子としている。
『上総金田氏歴代記 第一章 金田頼次とその時代』に詳細を記してあるが、千葉氏が千葉大系図を作成する時に千葉氏を本流とし上総氏を傍流とするため、事実と異なっていたことが原因なのである。下記系図の傍線(常家―常明―常隆)は千葉大系図だけに書かれているもので、上総氏は常長―常晴―常澄という系譜が通説であり、常澄こそが金田頼次の父なのである。
他にも「金田一族」には事実と相違していたり説明を要すものがあるので、「金田一族」を検証することで金田氏歴代の記録をより理解できるものにしたい。
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